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さて、私のインタビューの前に書いてくれたものもご紹介しちゃいます。
・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・
来てしまって後にはひけない。この状況から抜け出すためにはまず最低限の会話!
職員室の隅にいては駄目
!
真ん中にいて、よくわかんないけど新聞読んで知的さをアピール(?)
(※笑い話:
新聞の1面にのっていた「3PC!」という大きな文字。わたしはてっきり「パーソナル
コンピュータ」だと思って話題に首を突っ込んでいたら「3%だよ」といわれてハズカシかった・・・)
そして英語の勉強は早朝と夕方、夜と3回に分けてしたし、(しゃべれない事が職員室の教師社会に
参加できない原因となるのがわかったから)学校で自分が出来る事を企画したり、
いつも笑う事を心がけた。言ってる事がわからなかったときも、自分なりに想像して笑う。
全然ちがってたときはそれを知った相手が笑う。次第にビビアン・スーの日本に来たばっかりの
ころみたいに「なにいってるかわかんないけどおかしな子、でも頭は悪くないみたい」の
イメージをみんなに植え付けていきました。その苦労ったら・・・
「留学」すればよかった、って何度思った事か。自分が完全に学生と言う立場になれたら
どんなにその方が楽なことか。勉強に集中して、悩みは自分と同じ立場の周りの友人に相談できる。
私の環境は、仲間はみんなちりじりバラバラで1ヶ月に1度会えるかあえないか。
学校内で同じ立場の人間はいなかったし。
私には5年生レベルが一番の友達になれた。なるべく話すように努力して、
慣れてきたらもともと先生業に憧れていた私は、結構調子にのってきたんです。
日本語の授業なんて私にろくに出来るわけ無いのですが先生がいいかげんで
「この子がいるんだからやらせとこう、ハー楽ちん」くらいなもの。仕方なく幼稚園から6年生まで
全部のクラスをみるようになって、それより高学年の美術の授業の方が興味があって面白く
なって、デッサンの授業をみるようになったり。
そのうち、知人が知人に声をかけてくれ、さらにそのつてで、というように
人脈が広がって、ESLにもいくようになり、設計事務所でアルバイトさせてもらったりもしました。
「私はこれはできません」よりも「私にはこれが出来るんです」と自分を主張するしか
この社会ではやっていけないのだと言う事を体得。
しかし念願かなって海外の設計の現場を目の当たりにし、何か帰ってからの先が少しずつ、
見えてました。私はむこうで就職活動もしたんです。CVつくって日本から持っていった自分の
ポートフォーリオを持ち歩きながら設計事務所まわり。
ただ活動中にまたまたあらたな出会いあり、気付いたことあり、でむこうでの就職を諦め、
帰国しました。地震国日本と豪州とでは、建築物の構造がそもそも大違い。
石積み建築は日本にはないので、私は経験のないアシスタントとしてしか働けない事が
わかったのです。そのかわりもっと私の感性を活かせる、今の職業に出会ったんです。
ね?おもしろかったでしょ? 忙しいけれどとっても充実したお仕事をしている
みたいですね。頑張ってくださいね。 皆さんもね。
他にもあります中身の濃いお話
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